大阪高等裁判所 昭和41年(ネ)747号 判決 1969年2月20日
理由
《証拠》によれば、被告と古くから内縁関係にある福田清子は、従来灰谷営三郎と共同して金融業を営んでいたが、その資金の一部を藤田騰及び宮崎清子名義を用いて福田清子らが振出した約束手形を差入れて山本房次郎より借入れていたこと、そのうち右の手形である乙一号証の一ないし三、同二号証の一ないし七による約束手形金合計二二万円が不渡りとなつたり、呈示しても支払われる可能性がなかつたこと、そこで、昭和四〇年九月五日頃、山本が福田清子方で同人と灰谷にその支払を迫つたこと、その結果福田と灰谷は、山本に対し右の債務の二二万円の存在を確認し、分割で六カ月以内に支払うことを約し、両人が振出人となつて支払期日、振出日、宛名は白地の甲一号証の約束手形を振出したこと、被告は、福田清子と内縁関係にあり当時その場に居合わせたため、山本より支払の保証を求められ、福田、灰谷が支払をしないときは被告が責任をもつからといつて甲一号証たる約束手形の第一裏書人となりその署名押印をして山本に渡したこと、被告がこの甲一号証に裏書した趣旨は、福田と灰谷の山本に対する債務の存在を確認する意味のみに止まらず、被告はもと銀行員で約束手形に裏書することは担保責任即ち合同して保証する性質を伴うものであることを認識していたものであるから、福田らの支払を保証する目的でなしたものであること、しかるに、その後三ケ月を経過するも福田、灰谷は、山本に分割弁済を約した金員を一回も払わなかつたため、山本は甲一号証の白地部分を補充してこれを沢田態次に譲渡し、又昭和四〇年一二月一日被告に対する債権を沢田態次に債権譲渡し、翌年一月七日被告に到達した書面を以て被告にこの債権譲渡の通知を行つたこと、又、これらの債権の譲渡を禁止した契約はないことの各事実が認められ、以上の認定に反する証人福田清子の証言、被告本人の供述の各一部に措信しない。従つて、被告が甲一号証によつて負担した債務は、原告主張のごとく連帯保証債務ということはできないが、通常の保証債務とみるのを相当とし、他に主張立証がない限り、被告にこの二二万円の債務の履行責任があるのは当然といわねばならない。
沢田熊次が昭和四一年一二月二〇日死亡したこと、このため原告沢田ヒサは妻として三分の一爾余の各原告がその子として九分の二づつの遺産を相続したことは、当事者間に争がないから、被告は、これらの各相続人に対し二二万円をこれによつて按分した金員として原告ヒサに対しては七万三、三三三円、爾余の各原告に金四万八、八八八円づつ支払うべき義務があるといわねばならない。
されば、被告の本件控訴は理由がないのでこれを棄却するが、前記のごとく、相続と遅延損害金の請求を取下げたので、この趣旨を表し控訴費用の負担につき民訴法八九条、九五条を適用して主文のとおり判決する。